昔「タバコ銭」って言葉がありました。
これは大金ではなく、ちょっとしたお金、タバコくらいしか買えない少しのお金のことをいいました。
そして、人へのちょっとしたお礼の時(1000円か2000円程度を渡すとき)、「これ、お礼ですが、タバコでも買ってください」などと言って渡したものでした。
これが「タバコ銭」です。
そもそもタバコって、昔は安いものの代名詞だったのですね。
従って、ちょっとしたお礼の時、例えば、最近は少ないですが、
車が故障して道端によせるのを押してもらった時、重いものをもった年寄を家までその荷物を一緒にもっていってくれた時、道にまよってずっと道案内を長時間してくれた時、階段でころんで片足があるけず肩を貸してくれて医者まで連れていったくれた時など、その場でお礼の品などもっていないために、1000円とか2000円を包んで「タバコでも…」といって渡したものでした。
今私は2つのことで不便で寂しい思いをしています。 😥
まず、ひとつは、これだけタバコが社会の片隅に追いやられてしまうと、「これでタバコでも買って」という表現が、もはや意味をなさないことになってしまいます。
これって不便ですよね。「これお礼です」と言って、1000円をぽんと渡しても、ひょっととすると相手が逆に怒り出すかもしれない、何でそんな安いのがお礼なのかと…
また、タバコが高い値段になってきて、今やタバコが小さい金額を意味するような商品でなくなってきていることも「タバコ銭」を死語にしている理由になっています。
この点で、ちょっとしたお礼=タバコ銭という公式はなりたたなくなってきていることも事実です。
ふたつめの寂しい思いというのは、「これでタバコでも買ってください」というシーンが最近の日本ではあまり見られなくなってきていることです。
車が故障した?JAFを呼べば。
重い荷物、タクシーでも呼べば?
階段でころんだ、救急車を呼べば?…
一昔前は、多くの人々が自らのカラダを使って手助けをしたものでしたが、最近では、街を歩いていても、こういうシーンを見かけなくなってきたことです。
タバコが追いやられたとともに、タバコとともにあった「小さな親切」も社会からおいやられてしまったような気がします。
もう「これでタバコでも買ってください」という言葉は、禁煙社会においては、使われなくなってしまった言葉になったのでしょうか。
「タバコ銭」という言葉は、禁煙とともに消えてしまいました。